2010年 03月 10日
ブログ引っ越ししました |
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by hamp-stead
| 2010-03-10 01:55
| ⑤日記
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Plofile
'83 誕生@島根
'02 大学入学@横浜 '06 入社@神戸 '09~ 駐在@シンガポール まるで根無し草のよう・・・。 ブログパーツ
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2010年 03月 04日
更新が滞っておりますが、ご想像通り(?)仕事でいっぱいいっぱいになっております。今は韓国出張でソウルに来てます。
ここ一ヶ月は半分くらい家を空けており家庭崩壊しないか心配です・・・。ようやく明日の便でおうちに帰れるので、テンション高めです。この勢いでさくっとUpdateを。 ▼出張の飛行機で観た映画6本。ベストは「Click!」! 他に観たのは、「Kaiji」,「2012」,「マジック・アワー」,「Astroboy」,「Surrogate」。 それぞれ面白いかったですが、刺さった映画は「Click!」ですね。以下ネタバレありです。 きっとそんなにお金かかってない映画です。 主人公は時間を早送りするリモコンを入手するんです。 で、お決まりのようにいやな時間を飛ばしたり、うれしいことが起こる瞬間まで時間を早送りしたり、やりたい放題するんですが、最後にしっぺ返しを食らうという話です。 なぜ刺さるかというと、この「めんどくさいと感じる時間」を「早送りしたいと願う」ことは日常生活においてあまりにありふれいて気づきにくいのですが、人生の質を著しく低下させるかなり罪深い願いであると教えてくれるからです。 皆さんにも、仕事であれば、慣れきってしまったルーティーンであったり、エンドレスで今日あったことを話してくる家族であったり、うっとうしい両親からの電話であったり、家事であったり。まぁ、ひとそれぞれすっ飛ばしてしまいたいなと感じることはあるかもしれませんが、そういう日常の中の積み重ねが人生なのですよーと、ささやかれた気分です。 映画の中では、リモコンで時間を早送りしている間の記憶はないので、例えば自分の昇進パーティーのシーンにいきなり飛んだり、息子が大きくなっていたりするわけですが、一言でいうと幸せであるはずのシーンがものすごく空虚に感じられるんです。 PRGで言えばHPぎりぎりでボスを倒す瞬間とか、はぐれメタルを探してダンジョンをさまよう時間とか、そいいうプロセスも含めて「幸福感」とか「達成感」て醸成されるんだよなということを再確認しました。 生き急ぎがちな僕の周りの友人知人にも見てほしい。同じように感じる保障はありませんが。 次点は「Kaiji」と「マジック・アワー」ですね。三谷幸喜さん最高。何回見ても笑える。 「Surrogate」は微妙でした。「2012」は映像と着想は悪くないけど、あまりに洋画アクション物の定石を踏みすぎて胃がもたれました。 ▼憧れの小飼弾氏からTwitterでダイレクトメッセージを貰う なぜ?!と思ったら; 「Twitterのアカウントがのっとられ、フォローいただいている200名弱の方にアダルトメッセージを送ったため」 でした。はは。 こんなこと初めてです。バイアグラのURLを見せながら、「俺はこれで毎晩イケイケだぜ!」って書いてあった…悲劇。ダイレクトメッセージ消去して、パスワード変えて、ごめんなさいしました。みなさんもお気をつけください。 しかし二万人にフォローされながらこんな小さなハプニングもちゃんとケアしてらっしゃるとは驚きでした。 ▼仕事って終わりなきラリー 仕事は終わりなきラリーであると最近思う。製品を出すまでは各部署代表の集まったチーム内で、各部署は外部のAgencyとラリーを続ける。商品が出れば、次は市場との対話。うまくいったことうまくいかなかったことを聞いて、またチーム内・チーム⇔マネジメント間のラリーに戻る。というのを延々と続けているわけです。 という立ち位置で見ると、仕事のアウトプットのクオリティーも言うまでもなく大事なのだけど、それと同じくらい「フローをとめないこと」が大事だなと。もっと言うと、「フローを大きく・スムーズに流すことに貢献すること」か。 大きく振りかぶる必要とかあまりないんだなぁと。個々の分析とかもそうだし、会議の発言とかもそうだなと。自分に「最終回答」を求められている状況は、本当に少ない。自分の立場で、経験で、頭で、自然に思ったことを「今の時点でのベストの回答」としてポン出すことでDiscussionが深まり、Betterな解決策に近づくことに貢献する。それでいいんだなと。というか、大企業の細分化された業務の中で、自分ひとりの力でベストの解決策を見つけるとか、不可能。 言葉にすると当たり前だけど、今まであまりに力んでいたことに最近気づきました。 シンガポールはみんな”ものすごく”しゃべるので、余計に力みが取れてよかったかもです。 おふろ入って仕事して寝ます。 明日は花金ですね!るんるん。 #
by hamp-stead
| 2010-03-04 22:12
| ⑤日記
2010年 02月 22日
ちなみに原作は2年ほど前に読みました。ストーリーのリマインドは以下から。 サヨナライツカ - goo 映画PVの様な映画でした。中山美穂(真中沓子)、西島秀俊(東垣内豊) 、石田ゆり子(尋末光子)の配役はなかなか良く、また25年前のバンコクを再現したというセットと美しい町並み、130年の歴史の中で初めて許可されたというマンダリン・オリエンタル内の雰囲気などは鑑賞の価値があります。特に序盤の中山美穂と、中盤の石田ゆり子は必見です。 裏を返すと、脚本に関しては原作を読まないと理解に苦しむであろう部分が多くあり、また細かい設定の説明を省かれております。このことで例えば「必然」として語られるべき部分が「真中沓子の気まぐれ」として流されてしまう可能性のある荒い脚本だと感じました。ここの解釈を観客に委ねると、沓子の行動や言葉の重みが伝わらないのでは。 例えば①「真中沓子はなぜタイの高級ホテルのスィートで暮らしているのか」。 また、②「なぜ25年たった後の同じホテルでVIP担当として働いているのか」をきちんと加えるだけでぜんぜん違う。 記憶している限りの原作では…①大金持ちと結婚したが離婚を迫られ、承諾する代わりに多額の慰謝料を貰ったから(これについてはレストランのシーンで”軽く”触れられていた気がする),②その慰謝料を使い果たしてしまい、慣れ親しんだホテルに雇ってもらったから。 関連して、③なぜ唐突に沓子はただの知り合いに過ぎない豊の家を訪れて誘惑したのか。これは、別れた夫に見せ付けるための相手を探していたからで、近くに結婚するという制限時間を持った状況にある豊を選ぶことで、元夫に対して後腐れない復習を遂げるため。 この辺りの説明は丁寧なほうがよかったと思います。じゃないと沓子が単なる金と暇を持て余した淫乱に…(ある意味正しいけど)。こういった前提説明の不足に加えて、婚約者の光子がタイに来る直前までの沓子と豊の間のなんとも言えない緊迫した雰囲気な、25年後の沓子の惨めさや手紙に思いをこめる慎ましさなど物語の核となる部分の心理描写も小説ほどは迫ってきませんでした。 25年後のメイクとか、その辺りはまぁマイナーポイントとして目を瞑るとして、沓子が金と美貌を失いながら一人の女性として豊を思い続けるという一点については、雰囲気や個々のラブシーンなどの演出に頼らずにきちんと伝わるようにしてほしかったなぁと思いました。 ***** 小説の映画化って難しい。 もう一回原作を読みたいなと思いました。 ちなみにエンドロールでは韓国・日本・タイの参加国が対等に扱われており、日本で生まれた原作が韓国人の監督の手によって、4ヶ国語が飛び交うタイの現場で世界公開を視野に入れながら作られたという経緯は興味深かったです。 ・サヨナライツカ ・監督;イ・ジェハン ・上映時間;134分 #
by hamp-stead
| 2010-02-22 01:23
| ⑤日記
2010年 02月 20日
二ヶ月ぶりの日本帰国です。
「サヨナライツカ」、映画サイトのレーティングかなり…ですが観てきます。 #
by hamp-stead
| 2010-02-20 12:05
| ⑤日記
2010年 02月 19日
つい最近まで中学受験がブログ・Twitter界ではホットでした。
そこから派生し、学歴と社会的および経済的な立ち位置との関連性にまで議論は及びました。ちなみに大学の偏差値と年収の関係性はこんな感じ。 金融日記の関連エントリ一覧はこちら。おもしろいので一読あれ。 ・中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ ・天才小学生たちはどこへ消えた? ・なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察― 読んでいて、学生の時にやっていた個別指導中学受験塾の講師の仕事を思い出しました。 中学受験の世界は、高校3年生まで受験を知らなかった僕にとっては異世界でした。 ちなみに個別指導のすごいところは、親御さんの信頼を得て連携を深めてからにあります。子供のスケジュールを24時間睡眠時間を含めて計画・確認するのです。その子の問題を解決することに特化したPDSサイクルをすさまじい実行力で24時間使って回すのです。 実際に生徒ごとに24時間7日間の15分刻みのスケジュール表を配って行動を管理・確認してました(チーフ講師主導)。最終的に目標としている学校の入試問題の傾向と現在の状況から必要な事を逆算して考えられたプラン。しかし今考えると末恐ろしい…期間限定とはいえ、完全に自由がないわけです。 食事の時間、四字熟語を覚える時間、計算問題を解く時間…文字通り朝起きてから夜寝るまで、休憩の時間を含めて完全なる支配でした。年末になると、学校の授業中にどの教科をやるか…なんていう話まででるほど。 子供のサイドから見てもすごいですが、親御さんはもっと必死。毎日のように電話をかけていらっしゃるお母様、先生を変えろとしか言わない親御さん、冬期講習に100万円近いお金をポンと払う親御さん、年明けから急に我が子の状況が気になりだしパニックになって塾を訪れる御父さん。 そこで見た対照的な二人の生徒。 一人はこのような不毛地帯でいう壱岐のシベリア拘留並みの環境下でメキメキ力を付け、東大合格者数十人の都内私立へ進学。入塾したころは偏差値50にも満たなかった普通の小学生だったハズなのに、その後も勉強の習慣と快感を覚えたらしく中学一年で英検3級をとっていた。 彼にとっては、辛い受験はずの受験も本来自分の持つ資質を掘り起こし伸ばすには最良の環境だったのでしょう。PDSのサイクルを自分・親・先生の三本柱で超高速回転させた結果ウナギ登りであがる成績。快感だったろうと思います。 もう一人の生徒は、都内の有名小学校からの中学受験。入塾時の偏差値は60そこそこであったものの、大手集団塾の授業ペースについていけず個別指導へ。夏ごろまではそこそこの成績をキープしていたものの、受験が近づくにつれて宿題のやり残しが目立つようになった。 授業中に全くリアクションとらない、プラモデルの話しかしない、など年末に向けて危険なサインが出ていたものの、基本的に浪人の許されない中学受験という止まれない暴走列車に乗ったまま、妥協できる最低ライン(なんとか取り返せるであろう最大の譲歩)の勉強をなんとか続けるという日々が続きました。 チーフ講師、親御さん、社員を交えた面談が何回もなされ、彼のためのオーダーメイドカリキュラムは幾度となく上書きされたが、ついぞ彼が波に乗ることはなく受験は終わった。 公立校への進学が決まり肩を落としていた彼に「中学受験は確かに大事だけど、ここで人生の全てが決まるわけじゃないよ。」という旨を伝えたくて言葉を紡いだけれど、実質18歳の時に一度しか受験を経験したことのない僕の言葉は、無力だったのだろうと思う。 ***** 前者の生徒はがんばったから素晴らしくて、後者の生徒は結局受験と向き合えなかったからダメだとか、僕がこの経験を通じて思ったのはそういうことではありませんでした。 僕が知ったのは「環境というのはどれだけ完璧に整えても、所詮それは成功率を上げる一要因以上には成りえない」ということ。本人と環境の相乗効果の素晴らしさとともに、どれだけ力をつくしても当事者にはなれないという無力さ。 当事者以外の者はどこまで行っても「外野」であり、本人の特性ややる気を活かして結果を何倍にもするためのサポートはできても、本人に代わって努力することはできない。こうして言葉にすると当たり前ですが、あの一件以来、そこの線引きがより明確になった気がします。 ということで、僕は教育に関しては「みんながんばろうぜ!」という日本よりも「やりたいやつに思いっきりやらせようぜ!」というアメリカ的なスタイルの支持者なのでした。 #
by hamp-stead
| 2010-02-19 04:42
| ②社会・経済
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