2010年 02月 19日
自分が他人に対してできること/できないこと |
つい最近まで中学受験がブログ・Twitter界ではホットでした。
そこから派生し、学歴と社会的および経済的な立ち位置との関連性にまで議論は及びました。ちなみに大学の偏差値と年収の関係性はこんな感じ。
金融日記の関連エントリ一覧はこちら。おもしろいので一読あれ。
・中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ
・天才小学生たちはどこへ消えた?
・なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察―
読んでいて、学生の時にやっていた個別指導中学受験塾の講師の仕事を思い出しました。
中学受験の世界は、高校3年生まで受験を知らなかった僕にとっては異世界でした。
ちなみに個別指導のすごいところは、親御さんの信頼を得て連携を深めてからにあります。子供のスケジュールを24時間睡眠時間を含めて計画・確認するのです。その子の問題を解決することに特化したPDSサイクルをすさまじい実行力で24時間使って回すのです。
実際に生徒ごとに24時間7日間の15分刻みのスケジュール表を配って行動を管理・確認してました(チーフ講師主導)。最終的に目標としている学校の入試問題の傾向と現在の状況から必要な事を逆算して考えられたプラン。しかし今考えると末恐ろしい…期間限定とはいえ、完全に自由がないわけです。
食事の時間、四字熟語を覚える時間、計算問題を解く時間…文字通り朝起きてから夜寝るまで、休憩の時間を含めて完全なる支配でした。年末になると、学校の授業中にどの教科をやるか…なんていう話まででるほど。
子供のサイドから見てもすごいですが、親御さんはもっと必死。毎日のように電話をかけていらっしゃるお母様、先生を変えろとしか言わない親御さん、冬期講習に100万円近いお金をポンと払う親御さん、年明けから急に我が子の状況が気になりだしパニックになって塾を訪れる御父さん。
そこで見た対照的な二人の生徒。
一人はこのような不毛地帯でいう壱岐のシベリア拘留並みの環境下でメキメキ力を付け、東大合格者数十人の都内私立へ進学。入塾したころは偏差値50にも満たなかった普通の小学生だったハズなのに、その後も勉強の習慣と快感を覚えたらしく中学一年で英検3級をとっていた。
彼にとっては、辛い受験はずの受験も本来自分の持つ資質を掘り起こし伸ばすには最良の環境だったのでしょう。PDSのサイクルを自分・親・先生の三本柱で超高速回転させた結果ウナギ登りであがる成績。快感だったろうと思います。
もう一人の生徒は、都内の有名小学校からの中学受験。入塾時の偏差値は60そこそこであったものの、大手集団塾の授業ペースについていけず個別指導へ。夏ごろまではそこそこの成績をキープしていたものの、受験が近づくにつれて宿題のやり残しが目立つようになった。
授業中に全くリアクションとらない、プラモデルの話しかしない、など年末に向けて危険なサインが出ていたものの、基本的に浪人の許されない中学受験という止まれない暴走列車に乗ったまま、妥協できる最低ライン(なんとか取り返せるであろう最大の譲歩)の勉強をなんとか続けるという日々が続きました。
チーフ講師、親御さん、社員を交えた面談が何回もなされ、彼のためのオーダーメイドカリキュラムは幾度となく上書きされたが、ついぞ彼が波に乗ることはなく受験は終わった。
公立校への進学が決まり肩を落としていた彼に「中学受験は確かに大事だけど、ここで人生の全てが決まるわけじゃないよ。」という旨を伝えたくて言葉を紡いだけれど、実質18歳の時に一度しか受験を経験したことのない僕の言葉は、無力だったのだろうと思う。
*****
前者の生徒はがんばったから素晴らしくて、後者の生徒は結局受験と向き合えなかったからダメだとか、僕がこの経験を通じて思ったのはそういうことではありませんでした。
僕が知ったのは「環境というのはどれだけ完璧に整えても、所詮それは成功率を上げる一要因以上には成りえない」ということ。本人と環境の相乗効果の素晴らしさとともに、どれだけ力をつくしても当事者にはなれないという無力さ。
当事者以外の者はどこまで行っても「外野」であり、本人の特性ややる気を活かして結果を何倍にもするためのサポートはできても、本人に代わって努力することはできない。こうして言葉にすると当たり前ですが、あの一件以来、そこの線引きがより明確になった気がします。
ということで、僕は教育に関しては「みんながんばろうぜ!」という日本よりも「やりたいやつに思いっきりやらせようぜ!」というアメリカ的なスタイルの支持者なのでした。
そこから派生し、学歴と社会的および経済的な立ち位置との関連性にまで議論は及びました。ちなみに大学の偏差値と年収の関係性はこんな感じ。
金融日記の関連エントリ一覧はこちら。おもしろいので一読あれ。
・中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ
・天才小学生たちはどこへ消えた?
・なぜ理系の秀才はみな医学部に行くのか? ―標準的ファイナンス理論からの考察―
読んでいて、学生の時にやっていた個別指導中学受験塾の講師の仕事を思い出しました。
中学受験の世界は、高校3年生まで受験を知らなかった僕にとっては異世界でした。
ちなみに個別指導のすごいところは、親御さんの信頼を得て連携を深めてからにあります。子供のスケジュールを24時間睡眠時間を含めて計画・確認するのです。その子の問題を解決することに特化したPDSサイクルをすさまじい実行力で24時間使って回すのです。
実際に生徒ごとに24時間7日間の15分刻みのスケジュール表を配って行動を管理・確認してました(チーフ講師主導)。最終的に目標としている学校の入試問題の傾向と現在の状況から必要な事を逆算して考えられたプラン。しかし今考えると末恐ろしい…期間限定とはいえ、完全に自由がないわけです。
食事の時間、四字熟語を覚える時間、計算問題を解く時間…文字通り朝起きてから夜寝るまで、休憩の時間を含めて完全なる支配でした。年末になると、学校の授業中にどの教科をやるか…なんていう話まででるほど。
子供のサイドから見てもすごいですが、親御さんはもっと必死。毎日のように電話をかけていらっしゃるお母様、先生を変えろとしか言わない親御さん、冬期講習に100万円近いお金をポンと払う親御さん、年明けから急に我が子の状況が気になりだしパニックになって塾を訪れる御父さん。
そこで見た対照的な二人の生徒。
一人はこのような不毛地帯でいう壱岐のシベリア拘留並みの環境下でメキメキ力を付け、東大合格者数十人の都内私立へ進学。入塾したころは偏差値50にも満たなかった普通の小学生だったハズなのに、その後も勉強の習慣と快感を覚えたらしく中学一年で英検3級をとっていた。
彼にとっては、辛い受験はずの受験も本来自分の持つ資質を掘り起こし伸ばすには最良の環境だったのでしょう。PDSのサイクルを自分・親・先生の三本柱で超高速回転させた結果ウナギ登りであがる成績。快感だったろうと思います。
もう一人の生徒は、都内の有名小学校からの中学受験。入塾時の偏差値は60そこそこであったものの、大手集団塾の授業ペースについていけず個別指導へ。夏ごろまではそこそこの成績をキープしていたものの、受験が近づくにつれて宿題のやり残しが目立つようになった。
授業中に全くリアクションとらない、プラモデルの話しかしない、など年末に向けて危険なサインが出ていたものの、基本的に浪人の許されない中学受験という止まれない暴走列車に乗ったまま、妥協できる最低ライン(なんとか取り返せるであろう最大の譲歩)の勉強をなんとか続けるという日々が続きました。
チーフ講師、親御さん、社員を交えた面談が何回もなされ、彼のためのオーダーメイドカリキュラムは幾度となく上書きされたが、ついぞ彼が波に乗ることはなく受験は終わった。
公立校への進学が決まり肩を落としていた彼に「中学受験は確かに大事だけど、ここで人生の全てが決まるわけじゃないよ。」という旨を伝えたくて言葉を紡いだけれど、実質18歳の時に一度しか受験を経験したことのない僕の言葉は、無力だったのだろうと思う。
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前者の生徒はがんばったから素晴らしくて、後者の生徒は結局受験と向き合えなかったからダメだとか、僕がこの経験を通じて思ったのはそういうことではありませんでした。
僕が知ったのは「環境というのはどれだけ完璧に整えても、所詮それは成功率を上げる一要因以上には成りえない」ということ。本人と環境の相乗効果の素晴らしさとともに、どれだけ力をつくしても当事者にはなれないという無力さ。
当事者以外の者はどこまで行っても「外野」であり、本人の特性ややる気を活かして結果を何倍にもするためのサポートはできても、本人に代わって努力することはできない。こうして言葉にすると当たり前ですが、あの一件以来、そこの線引きがより明確になった気がします。
ということで、僕は教育に関しては「みんながんばろうぜ!」という日本よりも「やりたいやつに思いっきりやらせようぜ!」というアメリカ的なスタイルの支持者なのでした。
by hamp-stead
| 2010-02-19 04:42
| ②社会・経済